バカな方便

母「そうじする時あたま下げながらするやろ」

 

 

 

「うん。」

 

 

 

母「なんでも『はい はい』言いながら『這い上がる』ってな。言うんよ」

 

 

 

「うまいこと言うな。昔の人は」

 

 

 

「たしかに掃除が仕事もそうやけど生き方とか全てに共通する基本で、もっとも大事なことやと思てる」

 

 

 

母「そやけどあんた、きっちりキレイにしよるんはええけど、あんまりキレイにし過ぎると人寄ってこんようになるで」

 

 

 

「ええよ。今は修行僧やと思ってやってる」

 

 

 

母「そんなこと言うて善人してたらあんた結婚でけへんようになるで」

 

 

 

「結婚はせえへんよ」

 

 

 

母「今はそれでええかも知れんけど、あんた年いって親おらんようになって70、80になって働けへんようになった時どうすんの」

 

 

 

「困らへんように今がんばってる。働くから健康でおれると思ってるから」

 

 

 

母「そやけどあんた好きなことしてそれだけで食べていけんの。実力とか才能はあると思ってる?」

 

 

 

「自分の事業は実力とか才能はあってもなくても関係ない仕事。誰でもできる仕事やないと意味ないと思ってる」

 

 

 

「それで食べていけんでもアルバイトしながらでも自分の事業は続けるよ。それは命懸けてることやから」

 

 

 

「それでのたれ死んでもそれは自分の生き方やから。そうはならへんように働くだけ。そういう生き方が作品になるわけやから。」

 

 

 

「社会は0から1、1から10、10から100を生み出そうとしてるけど、

おれの事業は1(のホコリ)を0にする作業やと思ってるから」

 

 

 

「もう今すでに生まれた人間はみんな幸せになるべきやと思うけど、長期的には人類は滅んでもええと思ってる。『滅ぶ』って言ったらネガティヴな聞こえ方になるけど」

 

 

 

「大事なんは地球とか宇宙とかの方を生かすことやと思ってるから。汚したんは人間なわけやし。たとえ億や兆、稼がれんでも自分で決めてるし、死ぬ時に自分が納得できるように生きるだけ。」

 

 

 

「たとえ自分の事業で飯食えへんかってもアルバイトしながらでも続けるよ。」

 

 

 

「おじいちゃんもそうやったわけやし」

 

 

 

母「おじいちゃんはそれでよかったかもしれへんけど、周りが迷惑するわけや。おじいちゃんもそうやったけど、ありがとう言われるんは誰かて嬉しいで。そやけどボランティアでも何でも「出す」ばっかりで」

 

 

 

母「『ありがとう』では食べていけへんわけや。」

 

 

 

母「働けへんようになった時まわりに迷惑かけへんように蓄えなりを残さんと。アルバイトではたまるもんもたまらへんやろ。あんたらの世代では年金で暮らせるかどうかもわからへんのやから」

 

 

 

「そうならへんようにその日その日を毎日がんばるねん。」

 

 

 

「そんな先のこと心配ばっかりしてたら何もでけへんで。よろこび勇んでつとめるやないけど、毎日一生懸命働くしかないよ。がんばるしかないよ。働くということが社会とつながることにもなるし、働くことが国を守るということやと思ってるから。

70、80なって働けへんようになったとしてもそのために生活保護なりのセーフティーはあるわけやから。」

 

 

 

「やっぱり嫌われてもやらなあかんことはやらなあかんねんで。仕事も生活も毎日一生懸命働かへんかったら、年いっていざそういう状況になった時、生活保護も気持ちよく受けられへんと思う。今までがんばってきたっていう自信とか誇りがないと。」

 

 

 

母「うーん。時代も違うし、生き方も変わってきてるから・・・。そうやねんけど心配なわけよ。親から見たら子供はいつまでも子供やから」

 

 

 

「うん。お母さんの世代の人はみんなそうやろしなあ。お母さんのお母さんもそうやったやろし。お母さんのお母さんのお母さんもそうやったやろし。」

 

 

 

「そこはいつの時代も変わらへんよ」

 

 

 

「昔に比べたら満たされ過ぎてんねん。戦争があった頃は道に草も生えてへんかったわけやから。」

 

 

 

「おんなじようにその日一日をがんばるしかないよ。」

 

 

 

母「そらお母さんらの前の人らはもっと大変やったと思うわ。。。」

 

 

 

 

 

 

 

 

母「。。。そろそろ洗たく物いれな。」

 

 

 

 

 

 

 

 

日ごと母との会話に貴重さを感じるようになってきました。

家の内にいる時と外にいる時の母の背中の見え方が違って見え、本当に小さくなったなと、なんともいたたまれない気持ちになります。

自分勝手な生き方をして、家族にも世間の方にも疎まれているというのは重々承知しているのですが、それを悔いる意味も見いだせず。母に安心してもらえない自分がこわいのだなと内省しつつ、バカにもなりきれず、未だこの土地を離れられずにいます。

会話を文字に起こすとよくわかるのですが、コミュニケーションも納得させよう、説得させようと、自分の言いたいことばかりまとまりなく話しています。

家にお金さえ入れればいい。家の中を清潔に保てればいい。

言われる頼まれ事、不平不満を都度、解消していけばいい。

結局のところそれだけの問題ではないのでしょう。将来の安心なんてものはないんだよと言ってしまえば損なうところは大きいですから。そんなことは言いませんし、命令されない生き方を望んだ代償として、大丈夫なように。安心してもらえるよう尽くすのみです。

母の視線の先をよく見ること。

心配事の話しをよく聞くこと。

そこが疎かで安心してもらえる実りが伴わない自分の恥を晒すことで、

心の埃を払いたくなる一日でした。

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